曹洞宗

今から八百年ほど前の鎌倉時代に、
「道元禅師(どうげんぜんじ)」が
正伝の仏法を中国から日本に伝え、

「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が

全国に広められ、

「曹洞宗」の礎を築かれました。

このお二方を両祖と申し上げ、

ご本尊

「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに、
「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」

として仰ぎます。

浄元寺の頭痛神さん

曹洞宗の本堂の左右上段には

禅宗の祖師 達磨大師(左)と、

伽藍を守護する大権修理菩薩(右)が

祀られています。

通常の大権修理菩薩は右手を額の上に添えていますが、浄元寺は左手を添えています。

この姿が頭痛で頭を押さえている姿に見える事から昔から

浄元寺の「頭痛神さん」(ずつうかみさん)と言われ、頭痛を持つ方がお参りに来ていたそうです。お参りされた方に渡していた、頭痛神さんの版画が現在も残っています。

浄元寺

​山号 萬吉山

建立 慶長九年(1604年)

​本尊 十一面観世音菩薩

当山 二世 日堂雲作(にちどううんさく)和尚、

本師 国洲天越(こくしゅうてんえつ)大和尚を請して開山しました。
当時、家康公は駿府在城の頃はしばしば出猟にて藤枝市の盤脚院にて休息をし、天越和尚の禅話を聞き、また、囲碁を楽しむうちに深く帰依しました。
時折、駿府城にも招待し交遊する中、老僧の往復に悩むのを見て、地所を本通九丁目、その年新設制定された東海道五十三次の1里塚の地に現今の境内を賜り、

一字を建立して和尚の隠居所となした。

「一里山 浄元寺」と号し、後に

「萬吉山」と山号を改称しました。
昭和二十年の戦災までは、本堂、開山堂、庫裡、総門、半僧坊、豊川稲荷鎮守堂等の境内堂塔あり。

榊原健吉・・・明治初年、徳川慶喜公の静岡での謹慎居住の護衛として当地に男谷門下の幕末最後の剣豪として知られ、当寺に三年半余り寄寓した。愛用の「袖がらみ」を残すも戦火により焼失。